映画『原発の町を追われてー避難民・双葉町の記録』 制作・堀切さとみ

正編 2012年 56分  続編 2013年 26

 

 ある日、突然に強制的に家を追われ、遠い見知らぬ土地に連れていかれ、家族が離ればなれになり、いつ帰ることができるかわからなくなったら、あなたはどんな気持ちになるであろうか? 何を信じ、どのような希望を持てるであろうか?

 テレビで見ていた遠い国の戦争避難民と同じ運命に、わが国で12万人を越える人々がおそわれるとは、誰が予測したであろうか? この映画は、大量の放射能を浴び、安全を求めて福島県の双葉町から埼玉県のスーパーアリーナに緊急避難し、加須市の旧騎西高校に移った原発避難者の姿を追っている。


 監督・制作の堀切さとみさんは、さいたま市の給食調理員として働きながら、炊き出しボランティアとして避難者と親しくなった。そして、趣味のビデオカメラをまわし、彼らと同じ目線で避難者と言葉を交わし、ありのままの姿を撮影している。プロの映像とはまた違うリアリティがそこにはある。

 いつ事故が収束するかわからない状況の中で、避難者たちは毎日、同じような弁当を食べ、校舎に寝泊まりし、明日の計画が立たないことにいらだち、怒り、そして無気力になっていく。有名人の慰問や、ボランティアの演奏や手品などの余興を見ている人たちの無表情が気になった。おそらく、「なんで私はここにいるのだろう」と自問し続けているのではなかろうか?

 それだけではない。

 県内と県外に分かれて移住した町民が、避難の不満をさいたま市に避難した町民が恵まれている、と町長を批判している映像があった。福島県の中通り地域の人たちから、これまで優遇措置を受けてきた双葉町の住民に「土下座しろ」と言われているなど、悲しく残念な現実を記録している。

 私は町民の被曝総量を減らした井戸川元町長の埼玉移住の判断が正しかったことが、いずれ被ばく健康被害の少なさということで必ず証明される日がくると思うが、福島市・郡山市などで今も被曝し続けている住民が、怒りを国・県に向けるのではなく、浜通りの住民に向けていることは、何ともいたたまれない。

 

 私はメルトダウン情報をえて、3月17日に孫2人を連れて兵庫県の母のもとに避難した。それは、1歳の孫と妻と愛犬2匹を残さざるをえない苦渋の決断であった。2人の孫を連れてきた息子の妻は、「自分の子どもだけを逃げさせていいのか。友達の親たちに何と言えばいいのか」との疑問を私にぶつけた。私もまた、情報への責任が持てなかったことから、友人たちに知らせないまま避難したことは、その後、ずっと後ろめたく思い続けていた。

 双葉町の人たちが、家族を引き裂かれ、避難先によって友達とも溝ができ、自分たちだけが逃げてよかったのか自責の念にかられている姿は、身につまされた。しかし、今の私は、「住民の被ばく総量を減らし、被ばく健康被害を少しでも減らすことは、正しい決断であった」と考え、井戸川さんも皆さんの行動も正しかった、と考えている。

 堀切さんの映像は、埼玉に避難した住民が弁当をもらっていることを非難する会津の住民の声を伝えるなど、つらい現実を暴いている。しかし、10歳の少女は「仕方ないじゃない」と前向きで、くったくはない。ここに希望はある。

 ともあれ、きれいごとではすまされない現実を見せてくれた堀切監督に感謝したい。井戸川元町長は被ばく責任を問う裁判を起こされた。続いて、映画をとり続けられることを期待したい。

 福島第1原発事故を風化させることのないよう、この映画を是非、多くの人に見ていただきたいと思う。特に、原発再稼働が進められている浜岡・柏崎・東海などの地元の人々は見ていただきたい。(雛元昌弘)


公式ホームページ:原発の町を追われて  http://genpatufutaba.com/

DVD購入(上映権つきで3000円)・貸し出しは、ホームページの「問い合わせ」から連絡して下さい。

連絡先:堀切さとみ vzq13340@nifty.ne.jp