神田香織「チェルノブイリの祈り」

 

「何をお話しすればいいのか、わかりません。死について、愛について・・・・」 消防士の妻から始まる物語。チェルノブイリ原発事故で人々は何を考え、どのように行動したのか、どうなったのか、ベラルーシのスベトラーナ・アレクシェービッチさんは1996年、事故から10年後に『チェルノブイリの祈りー未来の物語』に書き、2015年ノーベル文学賞を受賞しました。それを鋭い感性で受け止め、神田香織さんは2002年から講談にして、語り続けています。



 

神田香織さんに聞く「なんで講談?

 

牧歌的ないわき市の農村に生まれ、母の唯一の趣味が民謡。三味線と母の歌を聞いて育つという、およそ洋楽とは縁のない環境でした。高校卒業後、軽い気持ちで劇団の俳優養成所に入ったが、これからが地獄の苦しみ、私が生まれ育った場所が日本でも珍しい無アクセント地帯だったなんて夢にも知らなかったのだから。一言いうたびに笑われたり直されたり。大役をもらったりして台詞が多いともう真っ青。私のアクセント直しで時間が取られ、他の役の人たちに迷惑をかけてしまう。しゃべる仕事なのにしゃべるのが恐いという、なんともやりきれない青春時代でした。ふとしたきっかけで講談を習い始めるまでは・・・。

 

講談は、ご存じのように落語や浪曲とともに日本の伝統芸の一つ。その特徴は「軍談、修羅場調子」と言って、たたくとピシリ!という音がする、厚紙に木などで芯をいれ和紙で張った張り扇を右手に、左に和扇子を持ち、釈台をパパン、パン、パンとリズムを取りながら「なにがなにしてなんとやら~」と語る調子にある。抑揚をつけて語り、時には2オクターブぐらい高低差がある声を出す。これが実はアクセント、言葉なまりの矯正に結果として大いに役立ったわけ。